久しぶりに嗅いだ土のにおいは工事現場だった

いつ土の匂いを肺にいれた覚えてますか。

 

 わたしは生まれも育ちも東京の住宅街で、身近に瑞々しい力強い土が少ない状況に生きてきた。

 それでも、高校生までは木が生い茂る公園を通り抜けないと学校に行けなかったため、土の匂いを覚えていたし、土の匂いをわざわざ肺に入れることを意識する必要はなかった。土はきちんと地面にあったから。雨の日には、ぬかるんで靴が汚れた。

 大学に入って、土のそばを通らなくなった。いま住んでいる家には庭がないし、身近にある土は、家の前にあるオリーブが植えられている大きい植木鉢くらいだ。

 

 それに気づいたのは、普段通る道に面している公営住宅の取り壊しが行われているときだった。その公営住宅は、三年前から取り壊しの予定が噂されていた。その取り壊しが最近まで進まなかったのは、住んでいる人がずっと出ていかなかったからだ。

 わたしは、ずっと、その公営住宅の前を通るたびに、ぽつぽつと光る部屋を眺めていた。その道は暗かったから、部屋の明かりを見るたびに、そこに住んでいる人のことを想像しては安心していた。だからこそ、人が住まなくなったことに、すぐに気がついた。どの部屋も光がなくなったのに気がついたときに、ついにか、と思った。同時に、その道はただの暗い道になった。

 人が住まなくなった公営住宅は、すぐに色褪せ始めた。なにを言ってるんだと思うかもしれないけれども、本当に色褪せる速度が速かった。どんどん汚れて、中が見えないように建てられていた大きい柵の間から草がひょこひょこと顔を出していたし、ねずみが、その柵の隙間を通り抜けるのをよく見た。カエルもいたな。しかし、うちの周りは拳くらいの大きさをしているカエルがよくいる。一昨日も見た。早起きだけれども、残念ながらまだ春じゃないぜ。

 それからしばらくして、草が全部なくなった。草の青々とした苦い香りがしていた。そして、柵に白い薄いあの看板が貼られた。取り壊して新しく住宅を立てる予定が、そこには書かれていた。ちょうど、平成をやめることを決める少し前くらいに作られたらしい看板は、平成32年と書かれていた。幻の年月だと少し笑った。

 そんなこんなで、しばらくしてやっと最近、大きい柵は取り払われて、そこは掘り起こされた。

 そして、題名に戻る。