お尻は太陽光からほど遠い(※個人差があります)。
去年の8月に開催されたデザインフェスタにワカナミ堂
ワカナミ堂8/27,28 A-235(@wakanami_do)さん | Twitter
と言うグループで新聞を作り、出店した。
そのとき出した新聞の記事にパンツの話を書いたのだけれども、すこし物足りなかったので、改めてここにもパンツの話を書いておこうと思う。
新聞、こんな感じ。
まずはじめに、わたしがここで言っているパンツは、下着のパンツのことである。一般的に言うショーツ、またはパンティー。
パンティーって言うと一気に面白くなるのはなぜなのか。パン+ティーだからかな。両方とも知ってる言葉だからこそ合わさると、不思議な感じになるというか…。
そういえば、この前友人とドリンクバーで好きな飲み物をお互いに、あのチープでスタッキング可能のプラスチックのコップにじょぼじょぼ入れていたら、友人が、メロンソーダに、初恋ソーダとかいう名前のピンク色の飲み物を混ぜていた。それを飲んだ友人は、「知っている味と知っている味がきて最後に知らない味になる」と言っていた。なんか急に思い出した。色合いは最悪だった。
それで、そう、パンツの話。
パンツを穿くという行為に特に違和感はないと思う。というよりも、むしろ、パンツを穿かないと言うと、あのものすごく驚いた、えっ?!という顔をする人が多いのではないかなぁ、と思う。
ちょっと前に卓球の選手かなんかが、パンツを穿かない、いわゆるノーパンの状態で試合をしている、という話、結構よくテレビでやっていたような気がする。えぇ~~?!という効果音でクローズアップされていたことから、ノーパンは少数派らしい。
いや、あれは、試合という大きい出来事時にパンツを穿かないのかよ?!という意味のえぇ~~?!だったのかもしれないけど。
まあ卓球の話でのノーパンは、パンツに動きを制限されないためのノーパン(だったと思う、あんまりよく覚えてない。彼の趣味かもしれない。)なので、ちょっと違う。たとえで出したのをいまちょっと後悔してるけど、まあその、だいたいの人はパンツを穿いてる状態が普通らしい。
パンツ穿かないと寒いってこともあるよね。女性はパンツを穿かざるを得ない時とかも多いし、パンツは大事よね。お尻をきゅってあげたりね。うんうん。
でも、パンツで常に覆われている、お尻の気持ちはどうなるんだろう。お尻はつねに、布で覆われている時がほとんどで、布がないときは結構少ないと思う。
だから、きっとお尻は、つねに布がかぶっていない、耳とか、鼻とか、おでこに憧れるときがあると思う。
「上の方で陽にあたりたいな~」ってお尻は言っているかもしれない。よく考えてみると、お尻に太陽の光を直に浴びせたことってないな。
また脱線したけど、つまり、パンツってすごく自然に常に穿いてるよねってことが言いたい。でも、この「自然に穿く」って結構すごいことだと思う。
みんながなにも疑うことなく、小さい頃からパンツを穿く生活を普通に営んでいるこの状況。すごい、パンツの市民権がすごい。市民ではないけど、権力を感じる。パンツから権力を感じる…!!毎日パンツ穿くたびに、すげえ生活に浸透してんな、お前。と思いながら穿いてる。
これが教育か?!積み重ねられることで浸透する、パンツの存在、疑うことなく身につけられるパンツ、つまりこれが、積み重ねの力…つみかさねぢから…勝てない…パンツの存在感に…一緒に成長してきたパンツへの疑いなき尻…
だからこそ、いまだからこそ、パンツを穿かない、という選択肢を選んでみた。積み重ね力によって圧倒的な力を持つパンツを取り払って世界に挑んだ。
具体的に言うと、パンツを穿かずに寝た。途中で起きた。パンツを穿いて、もう一度寝た。安心した。
完敗だった。
圧倒的な積み重ね力を持つパンツ、たった一日じゃ太刀打ちできなかった。積み重ねの力は強い。パンツは強い。
パンツの強さを違うことにも応用できたら圧倒的成長待ったなしだな、と思った。いまも思ってる。パンツを穿くたびに思ってる。
積み重ねは大事、これに、パンツのほんとうの意味にもっとはやく気づけていれば……!
とりあえず、パンツを穿かずに安眠する積み重ねを積んでパンツに勝とうと思う。
徳が積めるかどうかは、わからないけど。