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祖母が死んだ話

まずどう頑張ってもいい話にはならないのと、インターネットの海に放流するべき話ではないのですが、私は精神をインターネットに預けているので書きます。

 ですます調はここまでです。

 

先週の金曜日に祖母が死んだ。

いい祖母、いい祖母ではなかった。病気になる前からいい祖母ではなかった。この家の名前を残すことが重要だとよく言っていた。だから私が女なのが嫌で嫌で仕方なかったみたいだ。よく男の子ならよかったのにと言われた。その時はよくわからなかったけど、年齢が上がるにつれて、あれは私が男だったら嫁をとることでこの家の名前が残るのに、という意味だと知った。あと、彼女は祖母になっても女性だった。孫として接するというよりは年下の女、として見下され常に対抗心を燃やされていたように思う。そういう意味でも男だったらよかったみたいだ。

思い込みかもしれない。知りたくもないけれども

私は兄と妹がいる。

兄妹の中で私が一番性格が悪い。よく言えば柔軟でルールだってばれなければ破るし要領もよかった。テストはいつも満点だった。なぜなら満点を取らなかったら叫ばれて怒鳴られて叩かれていたから。たまに母親に聞いてみたくなる。ねえ私を散々叩いていたのを覚えている?って。きっと覚えていないよ。そんな気がする。

脱線した。

兄と私は二歳差で、私は兄の失敗を近くで眺めて学んで記憶していた。自分が経験しなくても、近い存在が経験するのだから私はほとんど経験したも同じだった。自他未分化だ。

つまり私の失敗は少なかった。ますます私が男だったらよかったと祖母は言った。祖母は学歴が大事な人だった。古い考えの人だったから。いい高校に行っていい大学に行って私の欲求を満たしてちょうだいと遠回しに何度も何度も言われた。だんだん私は祖母と話しをしなくなった。

私が中学2年生になったくらいで、祖母がアルツハイマー病になった。介護が必要になった。家族で介護すると言っても結局は母と私がいろいろやった。妹も30円で手伝わされていた。30円。私は100円だった。あの介護中に殺しておけばよかったと、いまでもたまに思う。

私が高校2年生くらいになって、祖母は老人ホームに入った。そこから会ってない。

私が大学3年生になって、祖母は介助されながらもご飯を食べれなくなった、鼻からいれる栄養も自分でむしりとった。そろそろ死んでしまいそう、”一応”生きているうちに、と私抜きの家族は会いに行っていた。その時私はバイトに行った。金曜日に祖母は死んだ。私は学校に行っていた。日曜の葬式中、私は家でゲームをしていた。火葬の日、私は家で寝ていた。

私の中で祖母はもう死んでいたから葬式にでて死を確認する必要はなかった。

アルツハイマー病はなかなか難しい病気だったから嫌なことをたくさん言われたし、負担が大きかった。一番記憶力の良い多感な時期に祖母の妄想で強盗が入ったやら、そこらじゅうに虫がいるとか、変な人が家に入ってきたと言われたり、重い体を支えきれなかったら人殺しと言われたり、なにかあるとすぐに電話やチャイムを鳴らしてきたこと、もちろん私が一人で面倒をみたわけじゃないから、もっと嫌な思いをした人はいるだろうけど、それでも、心底憎いと思った。頼むからはやく死んでくれと毎日祈っていた。いまでも親類縁者全員死ねと思ってる。私は生きる

あのくそみたいな女の血をひいているけど。

 

インターネットに放流して内にあるものを忘却しよう