炙りたい

肉を、チーズを、味噌を、砂糖を、魚を、メレンゲを、炙りたい…

炙りたい!!!!!!

 炙りたいと思ってから色々調べてみたらおもったよりも炙るのは簡単そうだな?Amazonでバーナーと検索したらもう即炙る機構が出てくる。ありがとうインターネット。日々回線に感謝しています。回線神って神様がいたら祀る。家に神棚を作ることも辞さない。

 それで、バーナー。ガスバーナーって結構大変そうだし難しそうだし何よりもこわいじゃん…と思っていたんだけど、まあ火ですよ。それにガス。火とガス、最悪熱くて爆発するくらいです。それに気づいてからはもうなにもこわくない。火ではなく火傷が怖いということに気づいたとも言える。火傷は痛いからな〜

つまりいまバーナーを探してる。

いまのところイワタニかSOTOのか…どちらかかな〜と思っている。

これがイワタニクッキングバーナー

こっちがSOTOのフィールドチャッカー

 イワタニはクッキングバーナーなるものがあるからクッキングに使うんだしそれでいいかな、とおもっていたら、SOTOのバーナーを見つけてしまった。見た目がすごくいい、SOTO。アウトドア系のやつだからゴツくてかっこいい。名前もフィールドチャッカー。フィールドチャッカーという名前だけど、料理を炙るのにも使えるっぽい。イケてる素晴らしいかっこいい調理器具は最高。かっこいいほうがいい。なぜならかっこいいのが好きだから。買います。

  最近は調理系の道具やらが欲しくてたまらない。ガジェット系の物欲はだいぶ落ち着いてる。相変わらずDOBOTが欲しい気持ちはあるけど、それよりも料理が面白くて面白くて大変興味深い。いまは肉を切るのに向いている包丁もほしい。あと大きいまな板。それを置く場所も欲しい。どこにいこうとしてるのか自分でもよくわからないけど調理は非常に面白くて時間を忘れて没頭できる珍しいものでいい。作って食べたら終わるのもいい。うんうん、なんだかんだ楽しく過ごしています。

5Lの鍋ってあれか、500mlのペットボトル10本分か

そりゃでかいわけだ

 

家のひとがIKEAで買った鍋をみてでかいな!こんなの使うときあるのか?!と大きな声をだしていたので、よくよく眺めたら5リットルはいる鍋で、あっこれ一人暮らしでは持て余すやつだ!と気づいた。

実家はみんなたくさん食べるから鍋が軒並み大きくて感覚が狂っていたっぽい。

そう、わたしは食事の量の感覚が狂っている。人参のごま油和えを作る時も、人参3本をザクザク切って900mlのガラスボウルに放り込んだんだけど、すごいことになった。混ぜづらい。

一度にたくさんの量を作って保存というよりも食べられるだろうと思って作ったら大量にできた、と言うことが多い。そのときは本当にいけると思ったんだよ

だから、でかい鍋もいけると思って買った。ら、一人暮らしで食べられる量をいい感じに作るには、2Lくらいの鍋でいいっぽい、ということがわかった。私が持っている鍋は5L。なんてこった3Lもの虚空を鍋に作らなくてはならない。

それが嫌でおでんを作った。

白だしをおいしいと思えるまで4Lくらいの水に入れて、大根を一本、こんにゃくを一枚、ちくわぶを一本、色々な練り物がセットになっているのを一袋と一等好きな練り物をひとパック、もち巾を三つ、たまごを三つ、好きなように放り込んだら5Lの鍋がいっぱいになった。

食べるのは一人。

練り物は煮ると増えるから、ちょっと火を通して鍋をあけたら増えてて大爆笑してしまった。増えてる!!!!!って



おでんは5日くらいかけて完食した。

家に帰ってあたためたら即おでんが食べられる生活は良かった。部屋がずっとおでんのにおいだったけど。

おでん、食べ終わった後に汁が2Lくらい残ってもったいないな…とおもってちょっと検索したら、意外とみんな他の料理に流用していて、ふむふむ…とながめた結果、炊き込みご飯にした。きのこご飯が食べたかったのもあってちょうどいいぞ!と、しめじとささみと、にんじんとだいこんと、おでんの残り汁でご飯を炊いてみた。あ、ちょっとごま油も入れたと思う。

おいしかった。いい味だったし、ちょっと入れたごま油がまたいい香りで非常に良かった。

この日のご飯は、ピーマンの丸ごと焼きびたしと、ささみ(買って料理し忘れてた)の大葉と梅の挟み揚げ焼きと、きゅうりの浅漬けと、きゅうりとささみの中華和えだった。きゅうりと、ささみを一度に消費した形ですね。あと、こうやって振り返ると汁物がないな。

しばらくは、家にあるじゃがいもとかたまねぎを消費する生活になると思うけど、また煮る系の、煮物とか作りたい。あっ肉じゃが…肉じゃがいいな…

振るのか舞うのかどっちなんだ

家に人が来て、作った煮豚で味噌ラーメンを作った。

煮豚、西友で衝動買いした豚肩ロースブロック350gを紅茶(臭みが取れる?っぽい?)で30分くらい煮て、中まで火が通っているか箸を刺して確認、大丈夫そうだったら、酒、みりん、お酢、醤油、さとうを自分の舌が好きそうな量(だいたい全部1/4カップとかでいい気がする。醤油だけちょっと多いほうがいいかな)を入れて一回沸かしたものにつける。肉の粗熱がとれたら、ジップロックにきゅっといれて冷蔵庫にバン!一日置くとかなり濃い味付けになる。

 

その煮豚で味噌らーめんです。

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人が来て結構遅い時間に夕飯どうするって話になった時にあのTwitterにのってた煮豚食べたい!となって家にあった袋麺で即席味噌らーめん。本当に具が煮豚以外なくて急遽卵を茹でた。あってよかった生卵。

ゆで卵もなんかこうフィーリングでやったらうまくいった。3分熱々で茹でてそのあと7,8分余熱で火を通す的な…やつ…たぶんなんかの本で見たんだとおもう。

考えてみるとひとに手料理っぽいものを振る舞ったのがはじめてで、なんか感慨深いものがあった。またやりたい。食器が全然ないので食器とあと机も買わないといけないけど

鷹の爪はある

塩はない

 

これがちょっと前までの家の状況。

9月に引っ越した。引っ越しというか、実家から出た。

考えてみれば、前の家に引っ越したのが大学受験中の9月だった。あれはわたしに決定権がなかったからどうしようもなかったけど、9月に移動するのは悪くない。温度もちょうどいいし。

 

仕事が忙しくてほとんど毎日10時過ぎに家に帰ってるんだけど、誰もいない家にすぐ慣れて鍵を開けたらすぐに鍵を締めて電気をつけるっていう流れができあがってる。電気をつけてしばらく自分の部屋を眺めてから自室に上がってる。なんとなく

ものを全然持ってこなかったし生活に必要なものがまだ揃ってないからスカスカしてるけど、まあなんかちょうどいいよな。どうせしばらく生活してたら読んだ書類とか論文を床にぶちまけて生活することになるんだし。そういえばプリンター持ってこなかったな。新しく買おうかな。収納が全然ないから収納をつくるところからはじめないといけないし、料理をするにしても道具がないので探さないといけない。調味料もない。お金もない。そのくせアームチェアとSIMフリーBlackBerry端末は買ったりしてるので、そういうことだとおもう。まあ食べなくても大丈夫だろうという思いがあるけど、食べたほうがいい。ちゃんと。自分の好きなものを作って食べることは本当に重要で、満足度も高いけど、そこに至るほどのなにかしらがない。

家にひとがいないのもいいけど、半分くらいは家にひとがいてほしい。半分はいいすぎたかもしれない。3日くらい。ちゃんと生活できてるけどひとがいたほうがよりきちんと生活できる。なんたって一人暮らしを始めた途端にトイレを流すのすらめんどくさがってる。洗濯も、週に一回でいいやって全部一回にまとめてる。食事だって、大量に作ったら腐らないように火をいれてずっと同じものを食べるし、味噌汁最近飲んでないし、なんだか語るのが難しい生活を送っています。ウォシュレットほしい

甘やかされたいって話をたまにひととするようになったんだけど、会社のお姉さんが、すごい年上か年下と付き合いなよって言ってきて、近い年齢だとだめだからものすごく余裕があるか全然余裕が無いか、合わせようがないひとと一緒になりなさいって、ハハーンって感じだけどそれはとてもむずかしいのではないだろうか。またひとと付き合いたいな~という思いが浮かんできてはいるけど、どうかな。どうかな~!こういうのはタイミングだとおもってるからそれが揃ったときだよな、とおもう。それが難しいんだけどさ…

 

塩は西友が5%OFFの日に買った。

そのときに砂糖、お酢、みりん、油、ってもろもろを一気に買ったら肩がぼぎゃぼぎゃになりそうだった。ぼぎゃぼぎゃ、折れて砕けて落ちるって感じ。

いまは家にパイナップルがあるので、それを眺めながら寝る毎日。そろそろいい匂いがしているので食べないといけない。そういえばパイナップルって剥いたことないな。楽しみだなあ

久しぶりに嗅いだ土のにおいは工事現場だった

いつ土の匂いを肺にいれた覚えてますか。

 

 わたしは生まれも育ちも東京の住宅街で、身近に瑞々しい力強い土が少ない状況に生きてきた。

 それでも、高校生までは木が生い茂る公園を通り抜けないと学校に行けなかったため、土の匂いを覚えていたし、土の匂いをわざわざ肺に入れることを意識する必要はなかった。土はきちんと地面にあったから。雨の日には、ぬかるんで靴が汚れた。

 大学に入って、土のそばを通らなくなった。いま住んでいる家には庭がないし、身近にある土は、家の前にあるオリーブが植えられている大きい植木鉢くらいだ。

 

 それに気づいたのは、普段通る道に面している公営住宅の取り壊しが行われているときだった。その公営住宅は、三年前から取り壊しの予定が噂されていた。その取り壊しが最近まで進まなかったのは、住んでいる人がずっと出ていかなかったからだ。

 わたしは、ずっと、その公営住宅の前を通るたびに、ぽつぽつと光る部屋を眺めていた。その道は暗かったから、部屋の明かりを見るたびに、そこに住んでいる人のことを想像しては安心していた。だからこそ、人が住まなくなったことに、すぐに気がついた。どの部屋も光がなくなったのに気がついたときに、ついにか、と思った。同時に、その道はただの暗い道になった。

 人が住まなくなった公営住宅は、すぐに色褪せ始めた。なにを言ってるんだと思うかもしれないけれども、本当に色褪せる速度が速かった。どんどん汚れて、中が見えないように建てられていた大きい柵の間から草がひょこひょこと顔を出していたし、ねずみが、その柵の隙間を通り抜けるのをよく見た。カエルもいたな。しかし、うちの周りは拳くらいの大きさをしているカエルがよくいる。一昨日も見た。早起きだけれども、残念ながらまだ春じゃないぜ。

 それからしばらくして、草が全部なくなった。草の青々とした苦い香りがしていた。そして、柵に白い薄いあの看板が貼られた。取り壊して新しく住宅を立てる予定が、そこには書かれていた。ちょうど、平成をやめることを決める少し前くらいに作られたらしい看板は、平成32年と書かれていた。幻の年月だと少し笑った。

 そんなこんなで、しばらくしてやっと最近、大きい柵は取り払われて、そこは掘り起こされた。

 そして、題名に戻る。

 

お尻は太陽光からほど遠い(※個人差があります)。

去年の8月に開催されたデザインフェスタにワカナミ堂

ワカナミ堂8/27,28 A-235(@wakanami_do)さん | Twitter

と言うグループで新聞を作り、出店した。

そのとき出した新聞の記事にパンツの話を書いたのだけれども、すこし物足りなかったので、改めてここにもパンツの話を書いておこうと思う。

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新聞、こんな感じ。

 

まずはじめに、わたしがここで言っているパンツは、下着のパンツのことである。一般的に言うショーツ、またはパンティー。

パンティーって言うと一気に面白くなるのはなぜなのか。パン+ティーだからかな。両方とも知ってる言葉だからこそ合わさると、不思議な感じになるというか…。

そういえば、この前友人とドリンクバーで好きな飲み物をお互いに、あのチープでスタッキング可能のプラスチックのコップにじょぼじょぼ入れていたら、友人が、メロンソーダに、初恋ソーダとかいう名前のピンク色の飲み物を混ぜていた。それを飲んだ友人は、「知っている味と知っている味がきて最後に知らない味になる」と言っていた。なんか急に思い出した。色合いは最悪だった。

 

それで、そう、パンツの話。

パンツを穿くという行為に特に違和感はないと思う。というよりも、むしろ、パンツを穿かないと言うと、あのものすごく驚いた、えっ?!という顔をする人が多いのではないかなぁ、と思う。

ちょっと前に卓球の選手かなんかが、パンツを穿かない、いわゆるノーパンの状態で試合をしている、という話、結構よくテレビでやっていたような気がする。えぇ~~?!という効果音でクローズアップされていたことから、ノーパンは少数派らしい。

いや、あれは、試合という大きい出来事時にパンツを穿かないのかよ?!という意味のえぇ~~?!だったのかもしれないけど。

まあ卓球の話でのノーパンは、パンツに動きを制限されないためのノーパン(だったと思う、あんまりよく覚えてない。彼の趣味かもしれない。)なので、ちょっと違う。たとえで出したのをいまちょっと後悔してるけど、まあその、だいたいの人はパンツを穿いてる状態が普通らしい。

パンツ穿かないと寒いってこともあるよね。女性はパンツを穿かざるを得ない時とかも多いし、パンツは大事よね。お尻をきゅってあげたりね。うんうん。

でも、パンツで常に覆われている、お尻の気持ちはどうなるんだろう。お尻はつねに、布で覆われている時がほとんどで、布がないときは結構少ないと思う。

だから、きっとお尻は、つねに布がかぶっていない、耳とか、鼻とか、おでこに憧れるときがあると思う。

「上の方で陽にあたりたいな~」ってお尻は言っているかもしれない。よく考えてみると、お尻に太陽の光を直に浴びせたことってないな。

 

また脱線したけど、つまり、パンツってすごく自然に常に穿いてるよねってことが言いたい。でも、この「自然に穿く」って結構すごいことだと思う。

みんながなにも疑うことなく、小さい頃からパンツを穿く生活を普通に営んでいるこの状況。すごい、パンツの市民権がすごい。市民ではないけど、権力を感じる。パンツから権力を感じる…!!毎日パンツ穿くたびに、すげえ生活に浸透してんな、お前。と思いながら穿いてる。

 これが教育か?!積み重ねられることで浸透する、パンツの存在、疑うことなく身につけられるパンツ、つまりこれが、積み重ねの力…つみかさねぢから…勝てない…パンツの存在感に…一緒に成長してきたパンツへの疑いなき尻…

 

 だからこそ、いまだからこそ、パンツを穿かない、という選択肢を選んでみた。積み重ね力によって圧倒的な力を持つパンツを取り払って世界に挑んだ。

具体的に言うと、パンツを穿かずに寝た。途中で起きた。パンツを穿いて、もう一度寝た。安心した。

完敗だった。

圧倒的な積み重ね力を持つパンツ、たった一日じゃ太刀打ちできなかった。積み重ねの力は強い。パンツは強い。

パンツの強さを違うことにも応用できたら圧倒的成長待ったなしだな、と思った。いまも思ってる。パンツを穿くたびに思ってる。

積み重ねは大事、これに、パンツのほんとうの意味にもっとはやく気づけていれば……!

 

とりあえず、パンツを穿かずに安眠する積み重ねを積んでパンツに勝とうと思う。

 徳が積めるかどうかは、わからないけど。